Interview withHideaki Ogawa @ Ars Electronica Festival 2011, Linz

アーティスト、リサーチャーとして多方面で活動されている、アルスエレクトロニカ・フューチャーラボの小川秀明さんとお会いすることができました。
多忙なフェスティバル期間中にも関わらず、貴重な時間を割いて下さった小川さんに感謝を申し上げつつ、ここではその一部をご紹介したいと思います。

インタビューを終えて

「アート」と「テクノロジー」を横断して仕事をするとしたら、自分には何ができるだろうか?

あまりにも大きすぎる話で、すぐに結論を見つけられそうにない。その問いに正面から答えるためには、私は誰なのか、私たちとは誰なのかについて、考えなくてはいけないだろう。しかし問題を自らに引きよせるうちに、何か見つけられるかも知れない。私のように、東京で、コマーシャルな場面で仕事をしている者にも、日常の先に連なる何か、が見えるかも知れない。

「アルスエレクトロニカ」は、1979年に始まったフェスティバルを起源に持つ。すでに32年前だ。1987年にアルスエレクトロニカ賞開設、1996年にアルスエレクトロニカセンター完成と、次々にその活動の裾野を広げてきた。その歴史を通じて、一貫して「アート」と「テクノロジー」の交差する領域の問題に取り組み、その取り組み自体を社会に向けて開こうとしてきた。
オーストリア・リンツの市民をはじめ一般の人々に認知されながら、専門家からは高いクオリティの内容で知られる、という困難な両立を可能にしているのは、それを支えるテーマの強さ、それを持続させる自治体、関係者の理解の深さだろう。その一貫したテーマとは、今回インタビューをさせていただいた小川さんによれば「アート・テクノロジ・社会」である。

私は今回、東京でインタラクションを設計・開発する(つまり、メディアテクノロジーと表現を扱う)会社に属する人間として、小川さんの話を伺った。私たちはコマーシャルな領域に身を置いているが、「アルスエレクトロニカ」の取り組みは、関わりのない、遠いどこかの話ではないと考えている。というよりもむしろ、ヨーロッパの地方政府の文化政策と、東京にいる私たちの仕事が、ある共通の地盤の上に成り立っていて、そこから派生する問題には共通点が多い、という認識から始まって、その理由を知るために私はリンツへ向かったのである。人口20万人程度の小都市が、言語も文化的な背景も全く違う極東まで届く、巨大なテーマに取り組み続けられていることの、理由が知りたかったのである。

小川さんのお話の先に感じられるコンセプトは大きく、その上精緻さを伴っているように感じられた。「アート・テクノロジ・社会」の意味するところはさまざまあるだろうが、その背後にひとつ、巨大な取り組みを可能にし、全体にゆるやかな方向性を与える重要なアイディアがあるのではないかと感じた。それは、それぞれの専門性を強調されがちな、表現、メディア、生活基盤(アート、テクノロジ、社会)の領域を、ふたたびひとつに結び合わせる、というアイディアである。
情報テクノロジーの分野で30年というのは、大変長い年月だ。長い期間にわたって「アルスエレクトロニカ」が発展し続けてきたのは、その問題提起が、テクノロジーの発展、もしくは変化がある限り、社会にとって常に重要な意味を持っていることを示しているのではないかと思う。「アルスエレクトロニカ」が社会から必要とされる理由は、テクノロジーの変化の問題を、多様な視点から追求する一貫した取り組みによってである、と言ってしまえば当然のようだが、そのことを正面から追求し、実現していること自体が、驚くべきことなのではないか。
リンツにおいては、多様な視点が、ある焦点において重なり合っているように感じられる。ある種の人間性の復活、テクノロジーに対するポジティブな「乗り越え」とも言えるような志向性が、そこで目指されているのではないか。

「テクノロジー」が、知覚のレベルへ影響し、存在の「それらしさ」や、「リアリティ」を揺り動かしている、といった議論の中でも特に、コマーシャルな領域で問題になるのは普及レベルの情報技術(例えばネットワーク、個人向けの小型コンピュータなど)の影響だろう。技術の高度化や複雑化よりも、むしろその「普及」によって、生まれつつある問題や認識の変化である。
特殊な、限られた人たちが使う技術ではなく、誰もが使う、開かれた技術を考えるためには、「進化」についてではなく、「変化」に注目する必要があるだろう。その領域は、「アート」と「テクノロジー」、「商業的な領域」と「文化的な領域」が、市場原理の中で、望むと望まざるとに関わらず互いに依存し、その限りにおいて否応なしに歩み寄る場なのではないか。つまり、社会が自らの変化を受け入れるための、葛藤のあらわれる場なのではないか。

最近数年の情報技術の普及を、ある側面に限れば、「個人」の数をコンピュータのそれが上回っていく状況、として考えることができる。人とモノの関わりにおいて、一対一の「対話」を前提にしたインターフェイスモデルでは対応できなくなる状況、と言い換えられるかも知れない。アイディアとしては以前から研究されてきた「ユビキタス」の具体的な実現が近づいてきていて、かつてその領域で考えられてきた問題を、実際の社会問題として扱う必要が出てきているのである。
情報端末のサイズ、性能あたりの価格はさらに下がっていくだろう。より小さく、より細分化された用途のデバイスが登場し、どこからでも通信ができる状況が進展すれば、私たちの情報に対する「読み書き能力」は、時間的・空間的にさらに多様な条件に耐えられるように、アップデートする必要に迫られる。
新しい情報環境の活用方法は、これから開発されていく領域であるが、活用方法はむしろ、普及することによって見い出されるはずである。その現場が、メディアアートにおける問題提起であり、研究機関における研究活動であり、コマーシャルな領域における応用なのだろう。「アルスエレクトロニカ」は、それら各領域で活動する人々を引きつけ続けているだけでなく、さらに、一般の人々を巻き込み、基礎研究を行うサイエンスの領域とも交流しようとしている。その上、「アルスエレクトロニカ」の射程は、いわゆるハイテクの情報環境に限らないのである。

「インターフェイス(境界面)」よりも、衝突そのもの、変化を引き起こす「カタリスト(触媒)」へ目を向けたい、というメディアアートの担い手としての小川さんの関心のシフトは、コマーシャルな分野でも、旧来の意味のデザイン(「個人」に対してインターフェイスを最適化する)が力を失い、その代わりにデザインを介して何と何が出会うのか、異なった二者が反応し合って、どんな効果を生むのか(デザインがどのように「触媒」として機能するのか)ということが問題になっていく傾向として現れつつあるように感じる。
かつて、メディアアーティストの藤幡正樹氏は、「メディアアート」を「メディアそのものを創造する領域」と呼んだ。その創造性が、相互に「情報を流通させる」状態をつくりだす段階を経たのちに、そのアイディアないし装置が社会に置かれたときの効果、つまり「触媒として何を引き起こすのか」という問題へ向けられていく傾向として、小川さんの時代認識を理解することもできるだろう。

個人が「その」インターフェイスを通じて何と出会うのか。
「そのこと」が、その人にどんな新しい事実を見せ、その結果どんな新しい領域と対話できるようになるのか。

私も表現とテクノロジーを取り巻く課題に取り組む者の一人として、努力していきたいと思う。

小川秀明 (おがわ・ひであき)

オーストリア・リンツ在住のアーティスト
アルスエレクトロニカ フューチャーラボシニアリサーチリード
アートプロジェクトh.o代表

聞き手 :
菊地玄摩 (きくち・はるま)

東京在住のデザイナー、ディレクター
ユニバ株式会社代表取締役